
◆コミュニケーションの定義。
凄いタイトルを付けてしまった。
こんなむずかしそうなことを大上段に掲げて良いのだろうか。ドキドキ。
さて、この記事を読まれている方は何かしら「コミュニケーション」に興味があるのだと思いますが、そもそもコミュニケーションとは何なのでしょうか。
辞書をひくと、
「伝達、報道(すること)」
と記されています。
つまりは、自分がもっている情報や感情を人に伝えること、それがコミュニケーションだといって良いでしょう。
そしてまた、おそらくは情報や感情を「受け取ること」もまたコミュニケーションの一環であると思われます。
つまり、より正確には、コミュニケーションとは情報や感情を伝え、また受け取ることと定義できます。
ということは、コミュニケーションが苦手だという人は情報や感情を伝えたり、受け取ったりすることが苦手だということです。
◆コミュニケーションの技術はうさん臭い。
ここまでは簡単。
しかし、それではどうすればコミュニケーションが上手くなるのかというと、これは、なかなかむずかしいでしょう。
「自分はコミュニケーション能力がない」といって悩んでいる人は大勢いるはずです。
ぼくが好きな作家の乙一の主人公などは、その大半がコミュニケーションのことで悩んでいます。
かれらは皆、自分は暗く、面白くなく、会話を盛り上げる能力に欠けていると考えて沈んでいるのです。
それでは、はたしてコミュニケーションの能力とは先天的な才能なのでしょうか。
それとも、後天的に磨きあげることのできるスキルなのでしょうか。
これも答えることがむずかしい問いですが、ぼくはコミュニケーション能力はいくらでも磨くことができると考えています。
ただし、そのための方法は「コミュニケーションの教科書」、「こうすれば会話が上手になる」といったたぐいの本をたくさん読んで、それを真似すること「ではありません」。
たしかに、一般的にコミュニケーションを成立しやすくする小手先の技術はいくらでもあるでしょう。
ですが、それらは「こうすればモテる」とか「セックスが上手くなる」といったテクニックに似て、どこかうさん臭い。
そもそもコミュニケーションとは相手があって初めて成り立つものであるはずなのに、その相手を無視して、自分だけの技術を磨こうとすることは何かがおかしいように思えてなりません。
◆経験こそ力。
それでは、いったいどうやってコミュニケーション能力を向上させていけば良いのか。
これは、やはり実地で学ぶしかありません。
そんなことをいわれても困る、と思われるかもしれませんが、コミュニケーションにおいては経験こそ宝です。
そして、最も貴重な経験は失敗経験なのです。
あなたが何かしらコミュニケーションに失敗した経験は財産だといっていい。
それらを活かせば、あなたも必ずコミュニケーション能力を向上させることができます。
無責任なことをいうなって? たしかにその通り。
コミュニケーションの失敗は、ときに肉体的な苦痛以上の「痛み」をともなうもの。そう簡単に失敗を活かすことなどできるはずがありません。
しかし、それでも、コミュニケーションに失敗は付き物なのです。
失敗を恐れてコミュニケーションを取ることはできません。
いいえ、むしろ、失敗から始まることこそがコミュニケーションの本質だとすらいえるかと思います。
◆閉じた回路を、自分のほうから開く。
どういうことでしょうか。
つまり、人と人はそれぞれが個別で、そう簡単にはわかりあえない存在ですから、コミュニケーションはまずは非コミュニケーションの状態から始まることが通常なのです。
いい換えるなら、すべてのコミュニケーションはまだ「伝達の回路」が通じていないところからスタートする。
そこから、どうやってその回路を成り立たせていくのかということがコミュニケーションの神髄です。
そのために必要なことは何か。
ぼくは、それは「好奇心」だと思っています。
相手が何を考え、何を思い、何を悩み、何に困っているのか、知りたいと思うその気持ち。
それがコミュニケーションの端緒となる。
コミュニケーションが苦手な人は、「こういうことをいったら嫌われないかな」とか「きっと自分は嫌がられているに違いない」とか、自分のなかだけで想像を巡らせて自己完結してしまっている傾向があります。
そうではなく、相手に対し自分を「開く」こと。そこからしか、すべては始まらないのです。
◆オープンハート。
まずは自分の側の心を開き、相手の反応を確認する。
もし相手の心が閉じているようだったら(初対面ならたいてい閉じているはずです)、その閉じた心にどかどかと踏み込もうとするのではなく、ゆっくりと自然に「回路」を作ってゆく。
そして、ただ相手を変えようとするのではなく、自分もまた変わってゆく。
それがコミュニケーション。
そう、「変化を怖れない心」。これが、コミュニケーションの最高のコツなのです。
もちろん、いうほど簡単なことではないでしょう。
ときには、コミュニケーションの失敗に傷つき、もう二度と人となど向き合いたくないと思うこともあるに違いありません。
ぼくもたくさんそういう経験があります。しかし、それでも、なお、経験は力です。
その痛みのあまり心を閉ざすことを覚えるのではなく、だれよりも開いた心で人と向き合うことを身につけたなら、あなたはもうコミュニケーションの極意を会得したといっていいはず。
なぜなら、それは大半の人にできないことだからです。
あなたが怖れているその相手もまた、何かしら怖れを抱えているものです。
あなたのほうから優しく歩み寄ることができたなら、それはあなたの大きな力になることでしょう。
オープンハート。
コミュニケーションは実は「能力」ではありません。それは、心のありかた。ぼくはそう考えています。
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この記事を書いた人:海燕(かいえん)
プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。
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