さて、新連載、「ニートブロガー海燕の〈きょうも空想日和〉」、第一回は二次創作の話です。
ここでいう二次創作とは、あるオリジナルな作品の設定や人物を借用して作られた創作作品のこと。厳密にいうと著作権違反の可能性があるのですが、いまではほとんどあたりまえの文化になっていて、おそらくこれをお読みの皆さんも目にしたり読んだりしたことがあるだろうと思います。
夏冬のコミックマーケットなどでは膨大な「薄い本」が出ているわけですが、そのうちの何割かは何らかの二次創作漫画や小説ですね。
インターネットの発達にともない、ネット上でもたくさんの二次創作を見かけるようになりました。Twitterなどでは何千とリツイートされた漫画やイラストを見かけることもしばしばです。
この二次創作文化を肯定的に見るか否定的に捉えるかは人に寄るところでしょうが、とにかく現代ではすっかり定着したカルチャーであることは間違いありません。
問題は、最近、この手の二次創作を「公式」である権利者がやっていることです。もちろん、いままでにもヒット作の二匹目のどじょうを狙う「外伝」や「続編」、「番外編」の類はいくらでもありました。
しかし、ここでいう「公式による二次創作」とは、そういった作品とは少し性質を異にするものです。たとえば、『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』。
これは名目上は「外伝」となっていますが、通常の外伝漫画とはあきらかに異なる性質の作品です。一応はシリアスな本編をギャグ漫画にして笑い飛ばしているところに特徴がある。むしろ、「セルフパロディ」という表現が適当かもしれません。
この作品、ネットを見る限り、非常に好評で、「笑える」という評価が定着しているようなのですが、ぼくはこういう作品を見ていると、何ともいえない複雑な気持ちになってしまいます。
作者本人が描いている漫画ではないとはいえ、「公式」が自らその作品を笑い飛ばすようなことをして良いのだろうか?と思うからです。
もちろん、「公式」である以上、権利的には問題ないわけですが、こういうセルフパロディは本編の真剣さを台なしにしてしまうのではないかと考えるわけです。
これ、『金田一少年の事件簿』をマジメに読んでいた読者は気にならないのですかね。それとも、もしかしたら『金田一』をマジメに読む読者などいないのでしょうか。
みんな、お笑い的なお約束の世界としてあの漫画を消費していただけだったのかな。そうだとしたら、いまさら「公式二次創作」によって作品世界が破壊されることを心配する必要もないことになりますが、それはそれで哀しいことですよね……。
どうもこの種の自分で自分を笑い飛ばすような作品は、ある種の「芸」として認識されているようですが、ぼくはどうにも好きになれないのですね。
シリアスだったらシリアスを貫き通してほしいと思う。たとえ、その結果、ある種の滑稽さが生じたとしても、それを自分で笑いに変えることでなあなあにしてほしくない。
でも、これは古い考え方なのかなあ。ひと昔前、往年の名作の続編ものが大流行したことがありましたが、「続編」から「同人誌的セルフパロディ」へ、はやりが変わりつつあるのかもしれません。
ぼくにはこういうビジネスがある種の焼き畑農法に思えてしかたないのですが、ネットの好評を見る限り、このようなことを気にする人間はもはや少数派なのかもしれません。悩むところです。皆さんはどう思われるでしょうか。ご意見をお寄せください。